今では考えられない粗大ごみ体験談

昭和の時代、月に一度や数ヶ月に一度といったペースで粗大ゴミ回収の日があり、それを目当てに回収前日に地域の人々が集まってきていました

粗大ゴミ

今では有料が当たり前、売るのが当たり前、そんなイメージになっている粗大ごみですが、かつては無料での回収が当たり前でした。これは今では考えられない、そしてどこか懐かしい体験談です。
私が子供の頃、住んでいる自治体でのごみの分別は「可燃物」「不燃物」「粗大」の三種類のみでした。大半の自治体がこのような単純なものだったことでしょう。もちろんこれは平成ではなく、昭和の時代です。
月に一度や数ヶ月に一度といったペースで、回収日が決められていました。比較的広い場所が指定され、回収日前日には大小様々なごみが山積みになっています。そして夜になると、地域の人達がどこからともなく集まって来るのです。
目的はもちろん、お宝探しです。ごみの山からまだ使えそうなものを探し、持ち帰ります。夏場であれば、買い換えていらなくなった扇風機が多く捨ててあり、冬場はこたつといったように、季節感溢れる物もたくさんありました。コンセントや部品などもきちんと揃っていて、目で見て明らかに破損したり故障したりしていない限りはまだまだ充分使えます。
「誰かが持ち帰るかも」という前提があるため、ベッドのマットレスのような寝具も汚れないように綺麗に捨ててあることが多く、それらも持ち帰る人が多いです。
軽トラックを持ち込むケースも多く、ちょっとしたお祭りっぽい雰囲気でした。

回収場で取引や情報交換し、次の日の回収時間にはゴミの量は半分以下まで減っていることもありました

それだけではありません。回収場で「取引」が行われるのです。誰かが「欲しいものがあるけど、捨ててなくて残念です」と言えば、「そういえばうちに使わなくなったものがあるから、持ってきましょう」と誰かが応じたり、ひとつのものを複数人で欲しがった場合も、揉めることなく相談します。
また、情報交換も始まります。同じ日に複数の場所での回収があるため、どこの収集場所に何が捨ててあったのか、情報が飛び交うのです。そして次の場所へと移動したり、他の場所から移動してきたりと、午後8時頃だというのに沢山の人々が町内を歩き回っていました。
捨てたい物があっても運ぶことができない人がいると、近所の人達が運んであげるという光景も当たり前のようにありました。そして翌日、回収時間にはなんとごみの量が元の半分以下まで減っていたりするのです。

これは今では考えられない光景ではないでしょうか。実際、私の子供や若い世代の人達にこの体験談をすると、ほぼ確実に驚いて「信じられない」と言います。私は今の回収制度などは環境のことも考えると必要な制度だと考えていますが、時折、昔の体験が懐かしくなるものです。
粗大ごみを取り巻く環境はこれからもよりいい物へと変わっていくのでしょうが、かつての体験も大切に心にしまっておこうと決めています。